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マスクを外せない痛々しい状況について

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 コロナ禍が始まって、約2年が経過。この「角野のひとり言」でもこの間この話題を、ジャレド・ダイヤモンド氏ユヴァル・ノア・ハラリ氏マクニール氏などの歴史学者、社会学者の著作などを参考に書いてきました。そして、ダイヤモンド氏の予言通り、ワクチンが行き届いた日本でも、収束の方向に向かっていると思われます。


 この2年の間、当事務所でもマスクの徹底、手指消毒、アルコール消毒、アクリル板の設置などの感染防止対策を行ってきました。しかしそれも、コロナの感染状況や実態が判明すれば、対策を緩和し、場合によってやめることも当然です。


 この2ヶ月ほど、私角野は、屋外は勿論、屋内でも自分の判断でマスクを外しています。元々、コロナが流行る前から、私は地下鉄内で場合によっては、マスクをしていました。また、家で掃除機をかけたり、洗濯物をたたむときなどは、今でもマスクをします。それは、アレルギー体質なので、ほこりやハウスダストなどから自分を守るためです。


 何が言いたいのかというと、理由や理屈が通らない行動は、生来やりたくないのです。政府や人がどう言ったかではなく、いろいろな情報を判断して、何でも一旦自分の頭で考えてみる。そうやって私は生きてきました。マスクをする、しないも含めてです。


 今もほとんどの人が、およそ感染リスクが考えにくい屋外や自転車に乗っている際にもマスクをしている姿は本当に異常、あるいは痛々しささえ伝わってきます。「なぜ炎天下でがんばってマスクを付けているの?」「なぜどしゃぶりの雨の中でマスクをしているの?」その理由を身近な人に聞いてみました。答えは、「付けていないと不安。付けることに、慣れてしまった。」とのこと。


 これは、かなり深刻です。要は、自分の行動、考えが自分の理由や理屈ではなく、他の何かに支配されているのですね。その何か。これを近頃は同調圧力と呼びます。


 勿論、たかがマスクです。する、しないは自由、放っておけば良いことです。しかし、本当は外すことがOKなのに、マスクを外せない状況は深刻です。それは、本当は言いたいことがあるのに、自由に意見が言えないのと同じ状況です。


 子供がマスクを外せず、熱中症になる事例が跡を絶ちませんが、それも当然です。大人が外していないのに子供だけ外せるわけがないからです。2年以上続いたコロナ感染対策、誰にも強制されず、自分達で自主的にやってきたことが、このままだとかなりの弊害をもたらすような気がして心配でなりません。

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