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六甲登山で「天命を知る」(?)~マイブーム「論語」にはまっております(番外編)

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 先週日曜日、高校の同級生3人と六甲山の登山に行ってきました。高校、大学時代、裏六甲に住んでいたことなどもあり、よく高校の同級生と六甲山登山に行っており、大学1回生の頃は、50数キロの市民大会六甲縦走登山に朝6時半から夜10半までかけて歩いたこともあります。そのときは、1週間足が痛かったですが…。今年の正月久々に同級生で集まったことがきっかけで、六甲登山が復活しました。

 それでこの日は、神戸の鵯越(ひよどりごえ)という所から、朝10時に集合して約4時間半かけて3時頃には新神戸布引に降りる、ゆるめのコースで歩いたのですが、約30年ぶりに山を歩くのに、すっかり登山をなめていました。というか、若かったあの頃と、今の自分とのギャップに気づかされました。六甲山といえども、やはり山は厳しいのです。写真の看板通りです。

「子いわく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」(論語、為政篇)

 私も同級生もこの論語の言う「天命を知る」年齢に達したのですが、「天命を知る」どころか、皆「惑い」続ける人生を現在も送っているのが、現実、現状ですね。ましてこの後「六十にして耳順う(人のいうことを聞けば直ちにその理を了解する)。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えずと(心のままに行動しても規則にはずれることがない)。」(論語、為政篇)いう境地に達することができるのか否か…。

 ともかく、やはり山に入ると、ウグイス、野鳥の鳴き声、椿、桜の花々など、この都会大阪にはない自然に触れることができ、足は多少疲れましたが、その後のビールが大変おいしかったです。
 

 

 

 

 


 

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