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あなたにライバルはいますか?

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いつも土曜日は、一人だけで事務所に出て事務所の整理、普段できないそうじや、こうしてHPの更新作業をしているのですが、土曜日に行う作業の一つに新聞のチェック、スクラップの作業があります。

 

「今頃スクラップ?」という方も多いと思います。日経の電子版など、世は電子化、ペーパレス化。しかし、私は、どうしても新聞だけは、その一覧性や、情報の取得の早さなどからして、紙だと考えています。今の電子版が始まるもう数年前に、日経4紙のクリッピングサービスとういうものがあり、使っていたこともありますが、そのサービスも打ち切られ、結局新聞は、紙だと考え、新聞の切り抜きを今でも行っています。

 

現在私は、日経、朝日、フジサンケイビジネスアイ、サンケイエクスプレスの4紙に目を通しているのですが、若干読むことがノルマに近くなり、新聞記事を楽しんで読むことがなかなかできなくなっております。ただ、今日22日の朝日新聞の別刷り「be on Saturday」の1面「誤解から生まれた名歌 阿久悠作詞、小林亜星作曲、都はるみ『北の宿から』」は、久々に新聞記事を読み物として楽しみました。その内容に感動しました。私は、今演歌を聴かないのですが、都はるみ、水前寺清子などがテレビから流れる時代に子供時代を過ごしました。この記事は、この2人のライバル関係とそれを通じて、小林亜星、阿久悠が結果的に後世に残す大きな仕事をしたという内容です。詳しくは、この「be on Saturday」に譲るとしまして、要約すると昭和50年当時に7年もヒット曲から遠ざかっていた都はるみが、デビューが同じであった水前寺清子に「昭和放浪記」という阿久悠、小林亜星の切なくて、悲しい曲があるのを、「なぜ、水前寺さんには、こんな歌があるの!」と所属プロダクション上司に言います。そして所属するプロダクションを通じて、阿久悠、小林亜星に都はるみのための新曲作りを依頼、それでできたのが、大ヒットする「北の宿から」であった、というお話です。

 

この「北の宿から」は、大阪新地のホステスから火が付き、後の大ヒットにつながるのですが、「自立する女性」という歌詞の内容が、支持された原因の一つではないか、と記事は書いています。そして、実は逆に都はるみが羨望のまなざしで見ていた水前寺清子の「昭和放浪記」の方は、当時ヒットしなかったようです。そういわれてみれば、水前寺清子といえば「365歩のマーチ」など元気な歌のイメージが強く、「昭和放浪記」?と言われても、私なども知らないですね。しかし、この歌へのリクエストが、最近の水前寺清子さんのライブなどで増えているようなのです。この記事にも水前寺清子さんの言葉として「いい歌だと分かっていたけど、20代だった私には、どうしてもうまく歌えなかった。60歳を過ぎ、人生いろいろあって、この歌の不幸な女性の思いが分かるようになった。」という内容が書かれています。

 

ライバルをうらやみ、そのライバルが持っていたものと同じ作者に仕事を依頼し、大きな成果、成功を成し遂げる。この時点では、してやったり、ということでしょうが、実はライバル視されていた者もその仕事からはその時点で大きな成功を得ておらず、その成果は40年も経過して出てくる。仕事とか、それによる成果、成功というものは、大きなライバルの存在により実現されるのでしょうが、一時的な成果、成功というものは確かにありますが、やはり人生はマラソンです。逆に、失敗だ、と考えていたことも、実は後で振り返ってみると、それが後の人生にいい経験となってかえってくる。そして、その点で、またライバルに追いつく。

 

皆さんにも、人生や仕事におけるライバルはいますか。そのライバルの存在は、人生や仕事にどのような影響を及ぼしていますか。この記事を読み、「ライバル」の存在、意味を考えました。

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