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悩んだときのドラッカーさん③~何によって憶えられたいか Part 2

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 この「角野のひとり言」のブログを始めたのが、当法人のHPをリニューアルした2010年12月からになり、およそ10年間続けています。この「角野のひとり言」や今は発行していない「アイリスだより」も含めて、最初のうちは、わりといわゆるビジネス書を取り上げることが多く、M・E・ポーターの「競争の戦略」「スティーブ・ジョブズ
驚異のプレゼン」孫正義「事を成す」松下幸之助「実践経営哲学」、本田宗一郎「やりたいことをやれ」などなど枚挙に暇がありません。そのようなテーマを取り上げる度に、この経営する法人の将来や士業ビジネスをどのように展開するのか、思い悩み、自分を鼓舞する意味も大きかったのが実際です。ですから、当時テーマとしてビジネス書や著名経営者の話題を取り上げることが多かったのだと思います。

 そんななか、この当時何度か取り上げたのがドラッカーです。このドラッカーはやはり約10年前日本でもブームになり、女子高生の野球マネージャーの話として、小説、映画化もされました。この頃「悩んだときのドラッカーさん」という標題のタイトルで、この「角野のひとり言」でも「何によって人に憶えられたいか」という、ドラッカーが13歳のときに宗教の先生から聞かれた質問について書きました(「仕事の哲学」P27、ダイヤモンド社)。「いま答えられるとは思わない。でも、50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね」(同書、P27)というドラッカーの先生の厳しい言葉が書かれています。

 ところで、昨日朝日新聞の夕刊で連載されている「三谷幸喜のありふれた生活」で、三谷さんは「仕事で出会った20代のスタッフと話していると、たまに『三谷さん、私のお父さんと同い年ですよ』と言われる。こっちは間もなく60を迎えるわけで、…」と書かれておられました。三谷さんも私と同い年なのだと、親近感を感じましたが、そこでドラッカーの書いた「50歳」を私も、間もなく過ぎてしまうことに気付きました。

 昨年の新型コロナの感染拡大により、いろいろなことが一変するなか、私の展開する士業ビジネスも変化を迫られています。「50歳」代を過ぎて「何によって憶えられた」のかは自分自身ではわかりませんが、次にやってくる「60歳」代に更に何ができるのか。三谷さんは昨日のコラムで「三谷さん、死んだおじいちゃんと同い年なんですよ」と若いスタッフから言われるときが必ず来ると書いておられます。これから確実に劣化していく能力や体力のなかで、もしかしてまだ「何」かによって憶えられていなければ、その「何」かを確立するのが、コロナによって変化する士業ビジネスの世界でのこれからの使命なのだと思っています。
 

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